京都芸術センターで行われた飯名尚人による「熱風」プレゼンテーション Vol.2
2014/6/29 
話:飯名尚人

テキスト聞き起こし:今村達紀
編集:水野立子

アメ車12_resize.jpg平野正樹写真シリーズ「キューバ」(一部)


キューバ、サラエボの写真から見えてくるもの。ドキュメントではなく、フィクションにする意味。

1992年から1995年のキューバの町と古いアメ車の写真です。この写真が何を語っているか?というのを瞬時に理解するのは難しいことです。「かっこいい写真だね」「キューバってこういうところなんだ」「子供たちが可愛い顔して写っているね」、そういうことは感じることができる。よく見ると全員“カメラ目線”なんですね。これはどういうことなのか?と僕たちは考えないといけない。この子供たちが何故カメラ目線で笑っているのか?これはやらせじゃない。 どういうことかというと、平野さんがカメラを構えていると、どんどん人が集まってきてしまうそうなんです。貧しい国だから、普通は自分の写真っていうのを持ってない、だから写りたがる。一番いい顔して集まってくるわけです。本当は町と車だけを撮るはずが、どんどんニコニコした人たちがカメラに入ってくる。貧しさ、ということ、その一方でそれだけではなく、このキューバの人たちの明るさって何なんだろう?そういうことを感じさせてくれる写真なんです。

最近知ったのですが、キューバ革命が起こって、アメリカがキューバから出て行ったのが55年前ですか。55年経って今年が2014年、はじめてキューバで新車を買ってもよいという法律ができた。この55年間、彼らはこの写真の中にあるようなボロボロのアメ車に乗り続けていたわけです。そのことを平野正樹が撮った。この後ろに映っている大きな家も昔アメリカ人が住んでいた家です。革命があって今度は経済封鎖があって、社会主義国になって大変なことになるわけです。その中でどうやって生きていくか。贅沢禁止、新車なんてもってのほか、今あるものを使う、そういう精神で55年やってきた国なんです。それが今年初めて新車が車屋さんにお目見えした。年収が平均3万円のキューバで、新車一台がなんと2600万円。誰も買えませんよ。このことがどういうことなのか、改めて考えなきゃいけない。

その後、平野正樹はサラエボに行って、いっぱい「穴」を撮ります。ひたすら「穴」を。10年前の平野さんの個展で、この写真を遠くから見て、すごくきれいな写真だなと思った。ところが近づいてみると穴ばっかり。これは旧ユーゴスラビアの民族紛争の跡です。壁に空いた無数の弾痕です。怖い写真。「ホールズ」という写真シリーズです。

「第2幕:写真」の脚本をどういう風につくっていったかといいますと、平野さんの写真シリーズは15シリーズくらいあるんですが、1日1シリーズ2時間、と決めて平野さんの事務所に通ってインタビューをし、録音して、それを全部テキストに起こしまして、そこから台詞として編集しなおしました。だから、語られている話はノンフィクションなんです。でも平野さんの主観で語られた話ですから、思い違いもあるかもしれない。そういうことが写真と重なってきて面白いんです。さらにこれを役者が語り直すことで、ドキュメンタリーではなく、フィクションとして別な側面が見えて来るのではないかな、と。


タスマニアの切株の写真。その上で踊るノーラと繋がった。

先ほどこの会場で流していた音は、どっかその辺で録音した音かなと思うかもしれませんが、つい一週間前のサラエボの街で録音した音です。キューバ、サラエボ、モスクワの人にお願いして、現地の今の街の音を録音して送ってもらい、それをサウンド・コラージュしています。

こういったドキュメンタリーの要素をミックスしながら作っているんですが、政治的なことや戦争反対を言うためにクリエイションしているわけではなく、僕が言いことがあるとすれば、作家・アーティストというのは、なんでそこまでやるのか?ということなんです。先ほどノーラさんのプレゼンテーションがありましたけど、何故彼女があれだけの強いアイデンティティで、アフリカということ、女性ということにこだわって、そこまでして一体何をやるのか?何故そこまでやるのか?そこに表現の価値があるし、むしろ表現なんていうのはそれだけでしかない、ということかもしれない。

セピア のコピー.jpg平野正樹写真シリーズ「沈黙の切り株」

「第4幕:ダンス」は、実寸大の切り株の写真。ひとつの切り株写真のサイズが5m×6mくらいあります。タスマニアのユーカリの樹、樹齢400年。ものすごいデカイんです。チェーンソーで切られ、木材はウッドチップになって、その8割が日本に輸出されコピー用紙になる。コピー用紙ですよ!そのことに対する社会活動を平野さんがやり始めて、僕もそれに参加することになったんです。僕が参加してたのは2003年〜2005年くらいまでかな。NGOみたいな活動ですよね、「森林伐採反対!」っていうことをやり始めた。ところがですね、全然上手くいかない。今、原発の問題はすごくセンシティブですけども、政府、自治体、電力会社とか色々な利害関係があって、どうにも「正義」だけではジャッジできない。10年前にこの森林伐採反対運動で紙の問題に関わった時、全くこれと同じ経験をした、利害関係のことです。
「日本で森林が破壊されコピー用紙になっている、この問題ってどうなのか?」といろいろな人に協力を呼びかけるわけです。雑誌に書く文筆家やジャーナリスト、大学の先生、広告の人たちとか。議論しようじゃないか、運動しようじゃないか!と。ところがですね、そういう人たちは誰からお金をもらっているのかというと、新聞社であったり、出版社であったりする。ビジネスパートナーは製紙会社です。そうすると、例え末端のライターさんであっても、森林伐採問題とか製紙会社のことなんて書いたら、仕事がなくなるかもしれない。僕は初めて現代社会というのはそういう構造なんだな、と身にしみました。そんな状況の中で平野さんが言ったのは、「自分はアーティストであってアクティビストではない。でも、そのことってどういう風に考えたらいいのか。やっぱり自分は写真を撮ってそのことを伝えていくしかないんじゃないか?」って。それで、直接的な社会活動の方はクローズしまして、平野さんは再び写真家に戻った。そういった背景がこの写真にはあります。

この「熱風」で、“8割が日本に輸出されてコピー用紙になっているなんて、良くないよね”と言いたいわけではない。僕たちは複雑な社会、経済の仕組みの中で、被害者か加害者か分からないような状態になっている。被害者だと思って反対したら、実は自分が加害者だったりとか、そういうことが日常的なレベルでもある。親と自分、彼女と自分とか、社会と自分とか。そういうときに僕はもう溶けそうになる。体が。それで「溶ける」というプロットが生まれてきました。平野さんの切り株写真の上で、ノーラさんにダンスをしてもらう。京都芸術センターのフリースペースに、10m × 7mの巨大プリントを床に貼る。その上でノーラさんにソロダンスをしてもらおうと思っているんです。


VOL.3に続く。