アフリカ日記
ノーラに会いにアフリカに行く。5月6日。

テキスト・写真 水野立子 
2014.5.6

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初アフリカ上陸

 ゴールデンウィークの最終日、日付が変わる直前の23:40夜のフライトで関空から初アフリカ上陸にむかい旅発つ。ノーラが8月に京都で滞在制作する作品「父のような自画像」のアフリカバージョンをダカール近郊で制作中で、その途中経過発表を観に行くため。ノーラがこの作品で、どのような作品性を目指しているのか、その一端でもみることできれば、夏の京都でのレジデンスのプログラムを組む参考にしたい。アンド、国際事業につきもののビザ申請や、細かいニュアンスの共有などメールでやりとりする1/100の時間と労力で解決できるface to face のミーティングも必要にかられていた。
しかしアフリカ行の一番大きな理由は、京都に招へいする前にやはりノーラが生まれ育った母国アフリカという国を訪れてみる必要があると思ったから。東南アジア、オーストラリア、アメリカ、ヨーロッパ、中国―各大陸のどこかの国を訪れたことはあっても、アフリカ大陸というその広大な地に足を踏み入れたことはまだない。テレビ画面では“アフリカ”をたくさんみてきたが、その空気にじかに触れたいと思った。

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 ノーラの母国はジンバブエ。実は、ノーラは4月末までこのジンバブエの首都Harareで、「父のような自画像」のグループバージョンを制作していた。男女5名づつ計10名の“TUMBUKA Contemporary Dance Company”とのワーク。2014年4月30日に公演を行うと聞きこのグループバージョンも観ておきたかったし、ノーラの生まれた国もみたかったが今回は断念した。ノーラからそのTUMBUKAとのリハーサル写真が送られてきた。

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 ほんの数年前のジンバブエは、誇りをもって自立を目指すが故に孤立し経済が崩壊していたようだ。WEB検索すると悲惨なNEWSが多く飛び込んでくる。しかし、いまは外務省WEBの危険度確認によるとインドネシアと同じくらい要注意レベルのようで治安は心配ないようだ。これも米ドルが導入されたということが関係しているのか。

 さて、関西―ドバイ(アラビア)―ダカール(セネガル)、そこから車で移動―40時間後にはベットにたどりつけるだろうか。初めて乗るアラビアの航空会社エミレーツ航空は、いままで乗った飛行機の中で一番の好印象だった。機内食のカレーが超うまい!完食。女性搭乗員さんの制帽がアラビ風で素敵。USBと電源がシートにありPCをずっと使用可能。そして、夜になると通路の上で、プラネタリウム星座が光るサービスが和む。GW明けだからか、エコノミー・ファーストクラスだった。つまりエコノミー4席ぶっちぎりで独占して寝れた!疲れ知らずのフライトである。そうこうして10時間×2回を終えていよいよセネガル/ダカール空港到着。日付は変わって5/7。

 そうだなーダカール空港は、奄美大島空港くらいの大きさかなあ。のんびり。ほぼアフリカ人だけである。あたり前だが肌が黒い。そして服、というか普段着が衣裳のように派手、カラフル。湿気ゼロ、熱いけど涼しい、空が高く青い。
発展途上国の空港にありがちなワーッと人がよってきて、荷物を持たせろー、だの、タクシーはこちら、という激しい押し売りがない。アフリカ人は穏やかで静かな人々のようで落ち着く。



魚村を目指す

 ノーラのコーディネートで迎えにきてくれたタクシードライバー、デンバさんの車で1時間ノーラが滞在するToubab Dialaw という魚村を目指す。空港からみえる景色は、建設中のような建物ばかり。オリンピック前に行った中国みたいだが、建物の規模は比較しようがないくらい小さい。デンバに聞くところによると、建設中が普通なんだそうだ。四角い土色でできた家、屋根がないところも多い。住みながらつくるそうだ。

 村に到着する頃には、いつしか道路はコンクリ―トから赤い土のような砂土に変わり、車は砂煙を立てて走っている。村の駄菓子屋のようなところに寄り、ユーロから現地の貨幣XOシェーファーにデンバが両替してくれた。1ユーロ=650XO。いったい、いくらここで現金が必要なのか。フライト疲れの頭で、いや、そうでなくても計算不可能。円からユーロでゼロが減り、ユーロからシェーファーでゼロが増え、ユーロの円基準がとっさに変換できないので、えっと1円が1ドルとして、1円は何XOなのか。ここではコーラはいくらなのか。。。。という事を考えると、ますます混乱するので、計算はあきらめる。計算=日本の基準でモノの価値を計算することはナンセンス。

 想像以上の村である、というか、砂漠のようなところに村がある、という感じ。考えようによっては、30時間移動するだけで、こんなにも生活環境が違う世界が実存しそこにいれる、ということだ。子供と家畜の山羊が、同じように道路で遊び、村人たちはほぼ全員顔見知りで、デンバは後部座席に乗っている肌の黄色い異邦人を乗せたタクシーの窓から、すれ違う人みなに大きな声で挨拶をする。「ヘイ、元気かい。どうしてる?」と。私はおそらく愛想笑いを浮かべながら、日本の都市では見られなくなったこのコミュニケーション方法に溶け込もうとした。タクシー以外の車はあまりないのだろう。窓の外では炎天下を歩いて移動している人々がたくさんいる。信号なんてひとつもない起伏のある道を走り、テレビでみるキリンや象が雄大にいるアフリカじゃなく、しかし、まぎれもないアフリカToubab Dialaw 村に到着。ここからさらに車で5分くらいのところに、ノーラが滞在制作しているJant-bi( http://www.jantbi.org/spip.php?article2)というダンスカンパニーの拠点、学校に到着した。夜の関空を発ってからいったい何時間過ぎたのか、太陽がまぶしい。ようやくNoraに会えた。「明日、朝9時から朝のメディテーションをするから元気なら来てね」と言われてこの日は別れた。

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 村のホテルの目の前は、海。ちょうど夕陽が落ちるころ、サッカーをする少年たち。さぞがし魚が新鮮なんだろうと思い「フィッシュ」を注文したが「チキン」がきた。フランス語と現地語しか通じない。シャワーは水のみ、トイレの水が流れるのが怪しい・・・。しかし、人間がおおらかな様子。アフリカの夜、第一夜がふける。