日記
ここから始まる再生の話。

テキスト 水野立子 
2014.8.6

ノーラが京都に到着。いまから1ヶ月間の滞在制作開始。

昨年から準備してきた日米共同製作。いよいよノーラが月曜夜に京都入りして、翌日から稽古開始。これから京都芸術センターで1ヶ月間の作品制作が始まる。

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ノーラ自身が作・振付・出演する「父のような自画像」と、飯名尚人作・脚本・演出・映像の「熱風」の2作品の作者によるプレゼンテーションを6月に行った。それを聞いていて、2つの作品の共通点が、ストンと臓物に落ちるみたいに納得できた。作品の基点は、どちらもとても個人的な問題、パーソナルなこだわりから始まっている。その個から公へとベクトルは移行していき、テーマ性や感覚・思想を他者が共有できる作品へと構築していこうとする。これってつまり、作品と共に生きる、ということなんじゃないか。自分が向かうべき何か、解決したいけどできない何か、その何か、というものを人は誰もが抱えて生きている。が、それを直視するか、対峙するか、避けるか、いろいろなチョイスがあるだろう。文字通り“当たって砕けて”しまう残念なこともたくさんある。私もまあよくあることで、途方に暮れる、糸口が見つからない。そんな中ときの私の救いの一手は、芸術作品。解決を提示してくれる。あるいは、解決にはならないが、救いとなる、勇気をもらえることもある。それを共有することで、また生きていける、と思える。そのためにアートはなくてはならない存在、きっと人類に必要なものだと思っている。この日の二人のプレゼンは、そんなことを改めて感じるものだった。


ボドロフスキーの「リアリティのダンス」と通底するものー生き直す、ということ。

IMG_5580.jpgノーラが来日する直前の7月末、85歳となるボドロフスキー監督の新作映画「リアリティのダンス」を観た。80年代のボドロフスキーの「エル・トポ」や「ホーリー・マウンテン」は、舞踏をやっているような人たち、つまりアバンギャルドアートに携わる者は、必見と言われていた映画。教科書のように観ていたように思う。何故ボドロフスキーが「リアリティのダンス」というタイトルにしたのか?と思いながら映画館にむかった。
びっくりした。ここ数年で群を抜いてびっくりした映画だった。映像は健全にとんがっているけど、以前の作品とは違う暖かさや包容力を感じた。家に帰ってパンフレットを読むと、“以前は選ばれた人に対して作品をつくっていたが、今は人を癒すためにアートを生み出すようになった”と書かれていた。全ての人のために寛容な芸術をつくろうとしている、と。過激、前衛、普通じゃないボドロフスキーがこういうと、唸ってしまう何かがある。そう、この日から毎日、パンフレットを持ち歩いている。

「リアリティのダンス」―奇しくも今回のプロジェクトが同じ制作過程をたどっていることの偶然に驚いた。“両親を再構築することで、主観的な過去を作り変え、理解し、許し、苦しみをお互いに感じ、生き直すということ、そのことで皆さんが救われる映画になる。”

今回のノーラがつくる作品も、「父」をテーマにし、しかし自分の父親だけのことにとどまらず、ステレオタイプの父親らしさ、父性を脱構築することで、普遍的な“アフリカ=生”を問う作品にしようとしている。しかし、原点となるのは、あまり記憶がなく、よい話ばかりではなかった父親の記憶をつくりかえることである。

飯名尚人の「熱風」もしかり。いやおうなく顔に吹き付けられる真夏の車の熱いエアコンの風のように、熱くしつこつ、これでもか、とまとわりついてくるもの、自分の意志ではどうにもできない運命のようなもの、それに抗い、受け入れ、怒り、だけどいつしか笑いながらケセラ・セラと、明るく歌いながら生きるような、カラッとした強さが炙り出されてくる。

そう、この3つの作品は、生き直すということなんだ、とようやく気づかされた。いわゆる、わかりやすい作品では決してないと思うけれど、実は太く確実に明確なものである。
それは今の私にとってとてもリアルなテーマだ。何かが狂ってきてしまったように映る毎日報道される世界中の事件や出来事。それは他人事ではなく、自分のことのように感じる。いつなんどき、あーそれって私がやってしまったことだったんだ、って思えてしまう危機感がある。これだけ異様なことが起きている世界の中で、自分だけは正常であり続けられると言い切れない切迫感がある。
生き直す、ということはとても勇気がいることだ。このプロジェクトの始まりから、企画制作をしてきてずっと感じていたことは、これだったのだと繋がった。そう、アート作品はいまこそ、とても私に、私たちに必要なはず。生き直す、再生するために。
途中経過に立ち会っていただく方々に、そういうふうに感じてもらいたいなあ、と企画者として思います。
8月末まで勇気をもってやりたいです。