アフリカ日記
途中経過発表。5月9日。
テキスト・写真 水野立子
2014.5.9
ノーラの途中経過発表日
早いもので3日目の今日は、ノーラの「父のような自画像」―Portrait of myself as my father―の途中経過発表日。昨日の学生の成果発表が終わり、静まりかえった学校。ひときわ輝いていたカッコイイジャンベ・プレイヤーNdeye Seckさんと、瓜のデカイ自作太鼓楽器をたたくひょうきんな男性ミュージシャンが加わる。
リハーサルの合間にノーラと話をする。作品タイトルとなる”Portrate of myself as my father"の“my father”だが、myはパーソナルな父だけではなく、My God=神とか自然とか、アフリカの父と言われるマンダラ氏とか、広い意味の「父」を想定しているので、日本語でいう「私のお父さん」ではない。邦題にする場合は、「私は」つけないことにしようと。そして、私=ノーラが、その父の自画像を描くということが大事だということ。このような話を直接できたことだけでも、ここに来る意味があったと思える。そういえばちょうど今読んでいる「舞踏家は語る」(志賀信夫著)というインタヴュー本に、大野一雄氏の「O氏の肖像」の話がでてくる。自画像、肖像。本人が自分を描くこと、他者に自分を重ねて描くという行為は、絵画はもちろんのこと、ダンス作品でも他ジャンルでも多くの偉大な作品となっている。パーソナルからパブリックへ、作品を共有ー開くということのテーマがあるように思う。
さて18時。Jant-Bi の関係者や、まだ滞在している生徒たち、村のミュージシャンなどが集まって来る。ノーラは村の人に頼んで衣裳のジャケットを調達。明るい黄緑のジャケットに羊の細いベルトを数本腰に巻く。男性ダンサー、カーラーとほぼ同じ振りを互いに信号を送りながら踊っているようにみえる。今日のアフリカバージョンでは太鼓や楽曲が使われているが、8月の日本バージョンは無音に近くなるだろうということ、日本ではダンスの「間」を探求したいと思っていることを終演後聞いた。
ノーラがこの作品のダンスを探るために男性ダンサーの力を借りて、その形を貪欲に途中経過発表でみせたこと、終演後のトークでは共演したダンサーが、自分が作者であるように積極的に作品について熱く語っていたことが印象深い。8月の京都での滞在制作に向けてどう舵を切っていくのか。時として、作家の頭の中では見えている絵を共有するのが難しいことがある。その作家との付き合いの距離や時間によって、その見え方は速くなったり遅くなったりする。私はどれだけノーラが作品に向かう方向性を共有できたのだろうか。わからない。まだ私にはぼんやりとだが、この作品の目指す方向が、個人的なエピソードを超えて、とても明るく開かれた質感をもっていること、自画像であり肖像画でもあるではないか、ということを感じた。それがダンスとしてどう展開していくのかは、日本での滞在制作が鍵となるだろうと暗示させるものがあった。
この村にきて3日目、アフリカの太陽の強さ、アフリカ人の体の強さ、人柄のおおらかさ、こんな岩だらけの土地でダンスをつくっていこうと思う人たちがいる、ということを知ったこと。そのスタート点に立てたということなんだと思う。