クリエイション日記
本読み、3日間
テキスト・写真 飯名尚人
2014.6.6
■森下スタジオで稽古開始。まずは笛田さんと本読み。『熱風』を通しての自分の話をそれぞれし合う。笛田さんからは、5月の『4時48分サイコシス』をどんな風に演出し、どんな風に定義しているか、という話。笛田さんにとっての「演劇」という定義。「作品」という定義。本読みの合間に雑談。どっちかというと雑談が8割。
■稽古2日目。すこし早めの時間に、笛田さんと本読み。平野さんの到着を待つ。佐藤信さんの『スピリッツプレイ』のときの話になる。15時、時間通りに平野さんが写真とカメラを持って登場。笛田さんと平野さん、ようやく会う。平野さんの写真をスタジオにならべて、いろいろな話。平野さんは挨拶もそこそこに本題にぐいっと入る。そこがいい。笛田さんもそう。相手を探るようなことはしない。まず自分の話をする。笛田さんと平野さんは同世代。70年代の話。80年代の話。あるいは60年代ってどんな印象だったか。本読みをする。このテキストをどんな風に発話するか。何度か繰り返して本読み。ちょくちょく2人はタバコを吸いにいなくなる。笛田さんは、平野さんの写真『HOLES』と『MONEY』のシリーズを気に入っている様子。平野さんも嬉しげ。笛田さんが「清水さんが、あっちのスタジオにいたよ」と言う。清水寛二さん。能楽師の。「さっきスピリッツプレイの話をしたから、呼び寄せちゃったのかな」なんて笑いながら。稽古の途中清水さんが我々のスタジオに。向こうのスタジオで稽古しているそうで、松島誠さんもいて、なんだか「スピリッツプレイ」を思い出す。
■何度も本読み。探り合い。言葉が入って来るときと、入って来ないときがある。演じると言葉が入って来なくて、演じないと言葉が残る。何故?今回のテキストは、何故か言葉を噛み締めると言葉が伝わって来ない。実際のインタビューから起こしたテキストだから、かな?
■稽古場で、水野さんがアフリカで撮影したノーラのダンス映像を観る。笛田さんと平野さんと。男三人で黙って見入る。笛田さんが「ダンスっていうのは、上下の運動じゃなくて、横に動くんだ」と映像を観ながら。「能だってそうだろう?」って。平野さんは以前「ノーラは、イヴだね、人類の」って言った。
■深田とカフェへ。深田は一応「教え子」だけど、教えた記憶無し。大学で。映画勉強して、今はフリーのディレクター兼カメラマンで色々やってる。カフェで撮影について色々相談。というかアドヴァイスしてもらう。アンゲロプロスの「ユリシーズの瞳」、ゴダールの「アワーミュージック」。この2つの作品で登場する車の中での会話のシーン。とても気になる。なぜか魅かれる。ビデオカメラの話。デジタルになってからのパキパキしたわざとらしい補正だらけの映像。なんとかならないものか。カラコレしまくりで、物語のフィクション性よりも、画質のフィクション性の方が気になってウンザリもしている。被写体深度の浅さだけの問題でもない。かといって、こちらは予算ないから、フィルム撮影もできん。いっそのこと、HI8とか、VHS、せめてSDで撮影するって方法もある。とか。16ミリって魅力的。金かかるけど。デジタルでも光の加減を読み取れればしっとりと色が馴染む。そのカメラにとってベストなアイリスとゲイン。深田曰く「飯名さんは、曇天で撮るのがいいんじゃないか」と。なるほど、そうかも。八戸南郷で撮影した『鳩祭』のダイジェスト映像を観ながら、曇天もしくは太陽が雲で隠れたときの映像は、背景と被写体の色が馴染む。一体化する。デジタルになってどんな環境でもどうにでも撮影できるけど、もっと光のことを丁寧に考えないといけないんだなと反省。
■平野さんに教わった、4×5インチの大型カメラが、いかに余裕のある画が映せるか、ってこと。ライカも悪くないけど、4×5で撮った平野さんのキューバシリーズは、でかいプリントにしても、柔らかくもくっきりとピントが合っていて、奥行きがある。そう、まさに、余裕がある画。
■濱さんからキューバのDVD到着。楽しみ。95年に撮影された作品でタイトルは「マダガスカル」。キューバの町並み。
■amazonでSONYのバッテリー充電器を買う、が、これはどうも偽物。SONY製じゃない。SONYって書いてあるけど。返品。それにしてもよくもまあ偽物を作って売ろうなんて思うよな。どんな神経しているのやら。
■稽古3日目。雨が強い。本読み。平野さんの写真を並べて。この日は、笛田さん、平野さん、水野さんが参加で濃厚な稽古。平野さんが「そうだ、ブリ大根、ってあるじゃん」と話し始める。みんなキョトンとする、お腹空いたのかな???と。「昔、ブリ大根食わせてもらったときにさ、その人に、"平野、ブリ大根っていうのはな、大根がメインなんだから、大根を食え"って怒られたんだよ。要するに、ブリとか出汁とか、全部の旨味を大根が吸う。だから、ブリなんてカスカスなんだよ、大根に全部旨味が凝縮されてる。大根のためにその周りがある。この"熱風"ってのは、ブリ大根の大根なんだ、と思うんだよ。俺の写真、笛田さんの芝居、ノーラの踊り、音楽、そういうもののエキスが大根に凝縮されて、それが熱風になる。昨日、台本読み返して、そう思ったね、俺は。ね、飯名さん、それで合ってる?」「はい、合ってます」「ああ、よかった、それで行こう、安心したよ」と。笛田さんがニヤニヤして「私、ブリ大根大好きなんですよ」。
■笛田さんと水野さん。笛田さんが鈴木忠志SCOTに参加していた90年代、水野さんは白虎社。接点あり。アメリカで同じ企画にいた様子。
■平野さんが、4×5の大型カメラを持って来てくれた。カメラも三脚もデカイ、重い!ピントグラスが透過光になってて、ああ、こんなキレイに見えるのか、しばらく観ていても全然飽きない、、、デジタルのファインダーとは全く違う。ガラス面にとろけるように風景が映っている。美しい。デジタルと違う物質感。目の前の風景をここに切り取る、という体感がある。笛田さんが「写真っていうのは、そこに実際に居たという現実の体験があって成立する。演劇もそうだと思う」と。その通りだな、ホント、映画も写真も過去を再生する機械じゃなくて、その映画その写真を観たときに、ああこの人はここに居たんだ、この風景を観ていたんだ、と思うような世界が広がる。映画、写真が過去で、演劇が現在、、、ということじゃない。そんな単純で稚拙なことではなく。自分の台本がまだ説明的であることにどうも気持ちが悪い。かといって、抽象的な言葉で意味ありげなことの羅列で済ませたくはない。意味不明ではないけども、説明でもないもの。この日は一日中、すごい雨。夜まで弱まらない。