クリエイション日記
6月、アブストラクト、そしてオープン。
テキスト 飯名尚人
2014.6.30
■森下スタジオで稽古開始。俳優の笛田さんと本読み。『熱風』を通しての「自分の話」をそれぞれし合う。対話。会話。笛田さんからは、5月の『4時48分サイコシス』をどんな風に演出し、どんな風に定義しているか、という話。笛田さんにとっての「演劇」という定義。「作品」という定義。本読みの合間に雑談。どっちかというと雑談が8割。
■稽古2日目。すこし早めの時間から笛田さんと本読み。平野さんの到着を待つ。佐藤信さんの『スピリッツプレイ』のときの話になる。15時、時間通りに平野さんが写真とカメラを持って登場。笛田さんと平野さん、ついに出会う!平野さんの写真をスタジオに並べて、いろいろな話。平野さんは挨拶もそこそこに本題にぐいっと入る。そこがいい。笛田さんもそう。相手を探るようなことはしない。まず自分の話をする。笛田さんと平野さんは同世代。70年代の話。80年代の話。あるいは60年代ってどんな印象だったか。そして本読み。ちょくちょく2人はタバコを吸いにいなくなる。笛田さんは、平野さんの写真『HOLES』と『MONEY』のシリーズを気に入っている様子。平野さんも嬉しげ。笛田さんが「清水さんが、あっちのスタジオにいたよ」と言う。清水寛二さん。能楽師の。「さっきスピリッツプレイの話をしたから、呼び寄せちゃったのかな」なんて笑いながら。稽古の途中清水さんが我々のスタジオに。向こうのスタジオで稽古しているそうで、松島誠さんもいて、なんだか「スピリッツプレイ」を思い出す。
■何度も本読み。探り合い。
■稽古場で、水野さんがアフリカで撮影したノーラのダンス映像を観る。笛田さんと平野さんと。男三人で黙って見入る。笛田さんが「ダンスっていうのは、上下の運動じゃなくて、横に動くんだ」と映像を観ながら。「能だってそうだろう?」って。平野さんは以前「ノーラは、イヴだね、人類の」って言った。
■深田とカフェへ。深田は一応「教え子」だけど、教えた記憶無し。大学で。映画勉強して、今はフリーのディレクター兼カメラマンとかやってる。カフェで撮影について色々相談。というかアドヴァイスしてもらう。アンゲロプロスの「ユリシーズの瞳」、ゴダールの「アワーミュージック」。この2つの作品で登場する車の中での会話のシーン。とても気になる。なぜか魅かれる。ビデオカメラの話。デジタルになってからのパキパキしたわざとらしい補正だらけの映像、これってなんとかならない?カラコレしまくりで、物語のフィクション性よりも、画質のフィクション性の方が気になってウンザリしている。流行の被写体深度の浅い映像の問題だけでもない。いっそのこと、HI8とか、VHS、せめてSDで撮影するって方法もある。とか。16ミリフィルムって魅力的。金かかるけど。デジタルでも光の加減を読み取れればしっとりと色が馴染む。そのカメラにとってベストなアイリスとゲイン。深田曰く「飯名さんは、曇天で撮るのがいいんじゃないか」と。なるほど、そうかも。八戸南郷で撮影した『鳩祭』のダイジェスト映像を観ながら、曇天もしくは太陽が雲で隠れたときの映像は、背景と被写体の色が馴染む。一体化する。デジタルになってどんな環境でもどうにでも撮影できるけど、もっと光のことを丁寧に考えないといけないんだなと反省。
■平野さんに教わった。4×5インチの大型カメラが、いかに余裕のある画が映せるか、ってこと。ライカも悪くないけど、4×5で撮った平野さんのキューバシリーズは、でかいプリントにしても、柔らかくもくっきりとピントが合っていて、奥行きがある。そう、まさに、余裕がある画。
■濱さんからキューバのDVD到着。楽しみ。95年に撮影された映画でタイトルは「マダガスカル」。キューバの町並み。
■amazonでSONYのバッテリー充電器を買う、が、これはどうも偽物。SONY製じゃない。SONYって書いてあるけど。返品。それにしてもよくもまあ偽物を作って売ろうなんて思うよな。
■稽古3日目。雨が強い。本読み。平野さんの写真を並べて。この日は、笛田さん、平野さん、水野さんが参加で濃厚な稽古。平野さんが「そうだ、ブリ大根、ってあるじゃん」と話し始める。みんなキョトンとする、お腹空いたのかな???と。「昔、ブリ大根食わせてもらったときにさ、その人に、"平野、ブリ大根っていうのはな、大根がメインなんだから、大根を食え"って怒られたんだよ。要するに、ブリとか出汁とか、全部の旨味を大根が吸う。だから、ブリなんてカスカスなんだよ、大根に全部旨味が凝縮されてる。大根のためにその周りがある。この"熱風"ってのは、ブリ大根の大根なんだ、と思うんだよ。俺の写真、笛田さんの芝居、ノーラの踊り、音楽、そういうもののエキスが大根に凝縮されて、それが熱風になる。昨日、台本読み返して、そう思ったね、俺は。ね、飯名さん、それで合ってる?」「はい、、、合ってます」「ああ、よかった、それで行こう、安心したよ」と。笛田さんがニヤニヤして「私、ブリ大根大好きなんですよ」。
■笛田さんと水野さん。笛田さんが鈴木忠志SCOTに参加していた90年代、水野さんは白虎社。接点あり。アメリカで同じ企画にいたっぽい。
■平野さんが、4×5の大型カメラを持って来てくれた。カメラも三脚もデカイ、重い!ピントグラスが透過光になってて、ああ、こんなキレイに見えるのか、しばらく観ていても全然飽きない、、、デジタルのファインダーとは全く違う。ガラス面にとろけるように風景が映っている。美しい。デジタルと違う物質感。目の前の風景をここに切り取る、という体感がある。笛田さんが「写真っていうのは、そこに実際に居たという現実の体験があって成立する。演劇もそうだと思う」と。その通りだな、ホント、映画も写真も過去を再生する機械じゃなくて、その映画その写真を観たときに、ああこの人はここに居たんだ、この風景を観ていたんだ、と思うような世界が広がる。映画、写真が過去で、演劇が現在、、、ということじゃない。そんな単純で稚拙なことではなく。自分の台本がまだ説明的であることにどうも気持ちが悪い。かといって、抽象的な言葉で意味ありげなことの羅列で済ませたくはない。意味不明ではないけども、説明でもないもの。この日は一日中、すごい雨。夜まで弱まらない。
■旅団事務局の鈴木一誌氏からメールを届く。鈴木さんはグラフィックデザイナーで、映画評論家。「熱風」の上演シナリオを写真の会の会報に掲載しないか?とのこと。「紙媒体に未発表ならもったいない出来栄えと思います。」とお褒め頂く。「写真の会」は西井一夫氏が立ち上げた会。なんとも光栄。6月24日までに掲載用に脚本を仕上げることになった。
■北京に。2週間の滞在。佐藤信氏の北京クリエイションに映像で参加。「中国の一日」という舞台作品でワークショップ形式で制作する。二人の若手演出家を交えて。3日間の僕の映像ワークショップも開催してもらい、パフォーマンスと映像のこと。参加者15人くらい。悪くない、欲を言えば、よりじっくり深いことをやりたい、とも思う。深く深く、しつこくしつこく。3日間のワークショップは「イントロダクション」という感じ。それはそれで意味があること。でも、長く、深く、しつこく、、、次回はそこへ。
■「中国の一日」は、1936年5月21日のことを一般から寄稿してもらい編纂した不思議な本。この本のコンセプトと引き継ぎ、2014年5月21日の出来事を軸に演劇が進んでいく。演劇というよりもほぼダンス。面白い。僕の役割は映像だけど、なんとかこの中に自主的に入り込み、僕の5月21日も入れ込みたい。でも同時に、過去の話を劇場でしててもしょーがない。未来の話がしたい。未来の5月21日の話。映像ならそれができるかも、とか、そんなことを漠然とホテルで思う。深夜、ホテル隣室の信さんに映像のアイディアをメール。
■稽古の合間に天安門広場に行く。感想「ただただ広い」。この広さの意味を考える。Facebook、Google系のサービス、youtubeがWIFIからアクセスできない。
■北京ワークショップの参加者で、ディレクター/女優のYaRuにメールアドレスを教えてもらったのでメールしてみる。パリで彼女が監督したショートフィルムを見せてもらったから。御礼メール。しかしメール、送れているのか、、、どうなのか、怪しい。同じくWS参加者の振付家/ダンサーのYuan Qingにもメール。写真を添付して送信したけどエラーで返って来た。うーむ。「We Chat」を使うしか確実な連絡手段がない。一方で日本とのメールのやりとりは順調(Gmailは全然ダメ、Facebookもダメ、youtubeも見れない)。
■笛田さんからメールあり。
■平野さんからメールあり。
■沖縄の前田さんから沖縄ロケのメール。映画館は「首里劇場」を借りられるとのこと。WEBサイトを見てみると、古いポルノ映画館。「熱風」のイメージ通りの映画館でびっくりした。
■北京で熱風脚本を完成させて、みんなにメールで送信。ver17。つまり書き直し17回目。社会主義のド真ん中で熱風の脚本を仕上げるとは、なんとも贅沢な・・・。6月末の京都ミーティングのためにまもなくノーラが京都に来る。
■平野さんから、舞台美術として使う「巨大切り株プリント」が完成したとのメール。
■北京。中国の「コントロールされている社会主義」と、日本の「コントロールされている(されつつある)民主主義」と、そのどちらもが未だ資本主義に未来をみている。アーティストたちはその未来に懐疑的だ。そのことを憂鬱に思い、気が伏せる。暗くなる。アーティストたちの葛藤。上海からクリエイションに参加しているTaoと話す。その日の深夜、劇場のDandanとビンチンと一緒にCDショップへ行く。帰り道、3人でテクテクと夜の町を歩く。人通りのない深夜1時。「家でお茶でも飲んでく?」ということで、Dandanとビンチンの家で、いま僕らが置かれている環境について話す。
日本と中国の大きな違いは、日本はコントロールされていることを容認せざをえない環境に置かれていて、もし政府に「我に自由を!」と叫んでも「え?君たち、自由だよ、だって民主主義なんだから、日本は」と言う。のれんに腕押し。一方あるコミュニティの中国人は怒っている、インディペンデント系演劇はその怒りの表れであるかのように熱狂的で、自分の話を語るというドキュメントシアターへの関心が強いようにも感じ、終演後のトークでは観客からの質問が山ほど降り注ぎ、出演者たちも沢山の言葉を観客に語り返し、山ほど語った出演者がその最後に「でも結局言葉では言い表せない!」って言う。それが演劇なんだ!と言う。この熱量に僕は奮い起こされる。
どこの国も同じ、他に仕事を持っている人々の中の演劇は歓びを持っている、演劇を職業にしている人々は歓びの中に苦痛を背負ってる。経済的な事情は精神的に圧迫してくる、追い込まれる。その絶望は希望に変わると信じている人たちだけが真摯に演劇に挑んでいるように思う。
■サラエボのAdlaから、サラエボの音が送られて来た。お願いしてあったサウンドスケープ。彼女の丁寧で完璧な仕事!録音した場所の地図や解説が事細かに書かれている。おもしろい。今のサラエボの音。
■北京の公演は、成功したと思う。作品のおもしろい、つまらないは、観客次第だから分からないけど、2週間でやったメンバーたちとの対話は、確実な信頼関係が生まれて、それが作品になった。そう思う。信さんのエネルギーに関心する、、、70歳。黒いテント自力で立てて演劇してた人が、今は中国でみんなと即興演劇作ってるという、このコンテンポラリーな感覚。なんだろ。
■北京から帰国して、京都へ。ノーラ!ついにノーラとのミーティング。京都芸術センターにて。「熱風」について、テーマ、構成、目論み。何かが伝わり、何かがバッチリと繋がった。そういう確信。ノーラが作家として挑んでいることは、僕のそれを似ている。僕が常日頃「そうじゃないといけない!」という「そう」の部分が、ノーラ。そして明るい。いつも笑顔。決して楽ではない自分のこと、自分の在り方を深く追究して、それで尚、笑顔でいられるということが他人を幸せにする、というか、無闇に他人を巻き込まない。「熱風」のチラシに掲載された出演者の写真を、全員笑顔の写真にしたかったのは、つまりそういうこと。
■ 清川敦子さんと京都芸術センターのカフェで雑談。「衣装」と「ファッション」の話。いい時間だった。清川さんは、前作「ASYL」で寺田みさこさんの黒いドレスを作ってくれた。(「出目金ドレス」と僕は呼んでる。)実は今回ゆっくり話すのが初めて。ようやく出会えたって感じ。彼女もすごい熱いものを持ってる人。一見おっとりしてるけど、話しててそう感じる。
■ノーラと僕とで、作品のプレゼンテーション。京都芸術センター。いい対話が出来た。と思う。「場所の移動」「対話」というのが、実は『熱風』の中にあるんだな、と観客やその他の人たちからの感想や意見で、分かった。分かって来た。そして、「場所の移動」「対話」を欲しているのは「自分」であって、そこで変化していくのも「自分」。だからノーラの作品も、僕の作品も、どちらも非常に個人的な自分の話をしていて、でもクローズじゃない。
■アブストラクトで、オープン。