作品遡行
当日配布パンフレット掲載のテキスト全文

2014/8/29 
テキスト:飯名尚人



 双眼鏡を覗く女の子がいた。


 「あの二人、何してんのかしら、みて、木が倒れていく、大きな木、みて、あの人、おかしい、マイクで一生懸命話してるのに誰も聞いてないの、あそこの海が無くなってる、おかしいな、昨日まではあったのにな、誰かが柵を越えようとしてるわ、犬にお尻噛まれてる、痛そう、子供たちが手を振ってる、なんだかみんな痩せてる、映画館から白い煙が出てる、SOSかしら、わたしの家が見える、ガジュマルの木が目印、子供の時からあるのよ、窓ガラスが割れてる、あの人、なんであんな重い荷物引きずってるのかしら、ロープが切れそう、紙を持って立ってるたくさんの人たち、何してるのかしら、歯を食いしばって、全身の汗が足元に落ちて地面がびちゃびちゃだわ、風が吹いてきた」

 女の子から双眼鏡を借りて覗いてみると、遠くのものが大きく見えた。双眼鏡だから当たり前だけど。クローズアップされた世界には不思議なことに自分自身の姿もあって、時には仲間と楽しそうにしている姿で、時には孤独で見るも惨めな姿だった。双眼鏡のピントを合わせたら平野正樹という写真家の姿が見え、彼は大きな切り株の上で写真を撮っていた。笛田宇一郎という俳優の姿が見え、ノーラ・チッポムラというダンサーが土の上で踊っていた。川口隆夫というパフォーマーが見えて、海を挟んだその向こうでShinbowという音楽家が三線を演奏してて、それを聴こうと耳を澄ます水野立子というプロデューサーの姿が見えた。みんなの足元には汗で濡れた黒い地面が見えた。

 2009年、真夏、炎天下の駐車場に置かれた車に乗り込むと、車内は灼熱でハンドルは焼きゴテのように暑い。エンジンをかけてクーラーのスイッチを入れたら、顔面に埃まみれの熱風が吹き付けた。イラっとした、クソ、バカにしやがって、溜息が出る。それで「熱風」というタイトルになった。沖縄から帰ってきてからの出来事。形のないモノが襲いかかって来ると、その存在を証明するのが難しい。そういうことってある、ほとんどのことがそうかもしれない。ちょっとした会話のズレ、文化の違い、世代の違い、無意識に相手を傷つけていることもある。もはや誰のせいなのか分からないのに、なぜか喧嘩していることだってある。目には見えない不条理で巨大な力がググっと押し込まれて来て、どうやったって太刀打ち出来ない。それを「運命」という人もいれば「宿命」という人もいる。僕はそれを「熱風」と名付けた。受け入れる人もいれば、立ち向かう人もいる。それで、こういう物語を思いついた。


     100年に1度、この島には熱風が吹く。
     今日が、その熱風の吹く日だ。
     その熱風にあたると、溶けてしまう人と、溶けない人がいる。
     誰が溶けて、誰が溶けないか、それは誰にも分からない
     「私は溶けてしまうんでしょうか?」
     「さあ、、、、、分からない」

 つい最近、キューバ革命から55年、キューバで新車販売を開始できるようになった、というニュースを読んだ。知らなかった。映画「ブエナビスタ•ソシアル•クラブ」に出て来るアメ車は、まだ現役だった。新車の価格は、なんと2600万円!平均年収3万円の国。買えるわけない。でもいずれ、ごく一部に買える人が現れて来るんだろうなと思う。

 今のサラエボの町の音を録音してほしいとお願いすると、Adlaさんが快く引き受けてくれた。バルカン半島が大洪水だ、とメールが来た。「紛争時に残っていた地雷が洪水で流れ出していてとても怖い」って。ドンパチが終わっても日常の中にはまだいろいろなものが残っている。モスクワ、キューバの音も、現地の人々に録音をお願いした。

 中学生の時、深夜テレビで映画を観た。「グッドモーニングバビロン」っていうイタリア映画でタビアー二兄弟の作品。物語は、イタリア人の兄弟がアメリカに渡って、G.W.グリフィスの1915年の映画「イントレランス(不寛容)」の映画美術の仕事を獲る。戦争が始まって、イタリアに戻った弟と、アメリカに移住した兄が、戦場で戦う羽目になる。負傷した敵軍同士の兄弟が戦場で会い、もう最期だとお互いをフィルムで映し合う。「もしかしたら誰かがこのフィルムを拾ってくれて、子どもや家族に渡してくれるかもしれない、だから笑えよ」「笑ってるよ」と泣いている。そんな映画だった。ジャッキー•チェンとランボーしか知らなかった中学生の僕は、映画というのはこんなことが伝えられるのか、芸術っていうのはスゴいことが出来るんだ、と感銘を受けた。高校に入った時、なぜか「牧師になりたい」と思い、聖書片手に教会に行った。聖書は面白かったから毎日読んでいた。矛盾もしていたし、新約聖書はすこし教訓じみていたけれど、それはどこか正しいことを言っているようにも思えたのだった。「あすのことを思いわずらうな、あすのことは、あす自身が思いわずらうであろう、一日の苦労は、その日一日だけで十分である」。イスラム教のことを学んだときその穏やかな生活宗教に驚いた。仏教を学んでみると、それを必要とする人もまたいるのであった。そんなことをしていたら僕には宗教は向いてないって感じ始め、無宗教となってしまった。この間、北京の劇場で作品制作に関わったとき、参加者の女性が「いろいろとツライこともあって、半年前にクリスチャンになったの。ファザーは一人で、私たちはその子どもなの。全員ね。あなたはクリスチャン?」と聞かれたから、「高校の時、教会に通っていたけど、いろいろな宗教と人々のことを学んだらその全てが正しいように思えたから、キリスト教だけを信仰することはやめて映画を勉強することにした」と答えたら、「You are cheat(あなたは偽り者だわ)」って言われた。僕と彼女の間に、わずかな熱風が吹いた。

 2003年、今からもう11年前。平野正樹と出会った。平野さんの写真作品「沈黙の切り株」、樹齢400年のユーカリの樹が切り倒され、8割が日本でコピー用紙になってる。その切り株の実寸大プリントの上でダンスをする。その演出をすることになった。いろいろな人たちが参加してくれて、楽しかった。でも、あるダンサーの踊りとミュージシャンの演奏を見た時、僕はとても傷ついた。切り株をただただ自分の表現のために踏みつけているようなダンスと演奏だったから。苦しかった。どうもすみません、と思った。平野さんに対してか、切り株に対してか、どっちもか。今回はその密かなリベンジ。僕が女の子から借りた双眼鏡で見た人たちは、この切り株を踏みにじるようなことはしないだろう。だから優しくて厳しく弱くて強い作品になっているんじゃないかと。3年前、Shinbowさんが「沖縄音楽は、喜怒哀楽の音楽だよ」って教えてくれた。「喜怒哀楽」が一塊となって同時にやってきた。それもまた熱風だった。

(了)