京都芸術センターで行われた飯名尚人による「熱風」プレゼンテーション Vol.1
2014/6/29 
話:飯名尚人

テキスト聞き起こし:今村達紀
編集:水野立子

DSCN8433.JPGプレゼンテーション会場の様子。(京都芸術センターにて)


「熱風」の出演者との出会いから、キャスティングまで。

この作品は4つのシーンに分け構成を考えています。最初は「音楽:MUSIC」、2番目が「写真:PHOTOGRAPH」、3番目が「映画:CINEMA」、4番目の「舞踊:DANCE」にノーラさんに出演してもらいます。
僕が作品を作るときは、演出家の名前がドーンと前に出るような作り方が好きではなくって、それぞれのアーティスト、出演者のキャラクターやアイデンティティが前に出るべきだと思っています。演出や構成の手法が良かったというよりも、出演者が良かったと言われたいんです。なので、キャスティングには時間をかけます。

一番初めにこの人にお願いしたいと思ったのは、平野正樹という写真家です。今回のフライヤーの裏面にある白黒の切り株写真が平野正樹さんの写真です。今回彼の写真を舞台美術として全面的に使います。まず会場全体を写真展のようにして、その中で演劇、ダンスが繰り広げられていくようにしたいなと。

笛田宇一郎さんは、鈴木忠志さんのSCOTで長い間役者をされていて、実は現代劇をやったことがないって言われたんです。「リア王」とか「マクベス」とか、そういった古典を多く演じられてきた方です。

作中の映画に出演してもらうのは、川口隆夫さん。元ダムタイプのパフォーマーです。映画の部分は7月に沖縄ロケを行い、20分くらいの短編映画を作ります。これは人が溶ける、溶けないという話です。熱風にあたると溶ける人と溶けない人がいる、という幻想的なプロットです。第3幕の「映画:CINEMA」で、この短編映画が流れます。

最初のシーン「第1幕 音楽:MUSIC」は、沖縄音楽で唄と三線のライブ演奏をおこないます。Shinbowさんというミュージシャンが沖縄にいまして、3、4年前に東京で知り会い、東京のライブに通うようになりました。彼は沖縄に来る観光向けの沖縄音楽はやりたくない、というすごくトンガッタ人です。商業的に作られた沖縄風音楽ではなくて、本来の沖縄音楽を聴いてもらいたい、と思っているからなんです。彼が東京にいる頃、いつもサンダル履きで、電車に乗りたくないから会場まで歩いて行ってライブをやる、というタイプの人。この人と一緒にやりたい!と思ったんです。彼は以前に僕の作品「アジール」を見に来てくれて、「今度一緒にやろうね」って言ってくれた。今回の「熱風」でやっと僕から声がかけられる!と思って沖縄に電話しようと思った。そしたら噂で「彼はどうやら音楽活動を止めてしまったらしい」と。声をかけるのが遅かった!後悔というか反省というか、自分の不甲斐なさを感じていました。でもやっぱり一回は電話してみよう、音楽活動を止めていても、出演オファーしようって思って。まず住所調べて、「熱風」の脚本送って、メッセージを添えて。で、何日かして電話した。そしたら、音楽活動を止めたわけじゃなくて、個人的な事情でしばらく休んでいただけでした。なので、今回出演して頂けることになったんです。

その彼が言うには、沖縄音楽というのは、ああやって明るくて楽しい音楽のイメージに思えるかもしれないけど、喜怒哀楽の音楽なんだよ、と。「ようこそ沖縄へ!」という観光用・商業用音楽ではなくて、もっと些細なことを歌っているんだよ、と教えてくれた。日常のちょっとしたこと、例えば「花が咲いているね」とか、そういうことだけを歌っているだけなんだ、って。メッセージや教訓があるわけではなく、ただ沖縄の風景や人の心のことを歌っているだけ。酔っ払った男がカワイイ女に声かけて、、、とか。空き缶で作った三線があるんですよ。戦時中、沖縄の人たちがアメリカ兵と戦わされている時、島の人からすると日本兵のほうが怖かった、という話もあるんですが、アメリカの捕虜になって柵の中で三線を弾いて音楽が始まると、その時だけは沖縄の人も日本兵もアメリカ兵も一つになれた。沖縄音楽はそういう喜怒哀楽なんだよ、って彼から教えてもらった。

簡単な紹介ですがこのような出演者たちと作っています。でも、京都に集まって、みんなで一緒にクリエイションしましょう、ということではないんです。そうではなくて、一人一人と丁寧にコミュニケーションをして、掘り下げていきたい。もしかしたら最終的には、渾然一体となった作品になるかもしれないし、それぞれがもっと離れていくかもしれない。その結論を急がずに作って行く必要がある。なので、今回は4つのシーンに分けて、それぞれのクリエイションを進めています。


平野さんの写真を演劇にしてみたい。

平野正樹さんとは10年ほど前、2003年に知り合いました。ある人が紹介してくれて、東京の表参道で開かれた平野さんの個展を見に行ったんですね。会場に入って、遠くから平野さんの写真を見るとすごく美しい写真。ところが近づいていくと何か恐ろしいことを語っているような、語り尽くせないような、そんな写真が展示してあったんです。そこで初めて平野さんに「これはどういう写真なのか?」とお聞きして、ここから僕と平野さんの会話が始まりました。

IMG_3038.jpg平野正樹。(平野正樹写真事務所にて)

平野さんの写真については、「第2幕:写真」で語られていきます。「ドキュメンタリー・シアター」という手法がありますが、今回の「熱風」での手法は「私小説」です。ですので、単に本人が登場してきて、その本人が演じるのではなくて、笛田さんという役者が「或る写真家」を演じる。そこからフィクションというか、演劇、芝居、という二重の面白さになっていくかなと思います。

一枚の写真が貼ってあると、「あ、きれいな写真」ってチラっと見て通り過ぎる人もいるし、「ん?これ何だろう?」と考える人もいる。写真家を捕まえて根掘り葉掘り聞く人もいる。写真とはそういう選択ができるメディアです。そういう時間軸が写真にはある。この写真特有の見せ方をそのまま演劇にしてみたいと思いました。

展示される一枚一枚の写真の前で、笛田さんが平野正樹の写真の歴史を語っていくという演劇をします。平野正樹自身、つまり本人が語らないのは、この世界をフィクションにしたいからです。僕にとっては、あくまでも演劇なんです、フィクションです。本人が本人のことをリアリズムだけで語ってもフィクションにならない。本人には嘘がつけないからです。なので役者がもう一回語りなおすことでフィクションになって、フィクションだからこそ見えてくることがあるんです。


VOL2へ続く。