『熱風』に私は溶けてしまった。

文/坂本公成


 『熱風』に寄せて

 今私の目の前に一冊の写真集がある。平野正樹氏による『DOWN THE ROAD OF LIFE / 人間のゆくえ』。
 平野氏がサラエボで撮影した壁の「弾痕」の写真は、はじめ私にはベルリンの壁を想い出させた。壁の崩壊から半年後、ベルリンの壁の痕跡を見たいと東西ベルリンの国境線辺りを訪れた私を待っていたのは、土産物として商品化された美しい「壁」の破片だった。
 表象を表象として見ているとそれはただの抽象的な美しい模様、もしくは痕跡、破片にすぎないのだが、その背後に潜んでいる史実、ノンフィクション、すなわち、生々しい人間の闘争の残滓なのだと思うと、平野氏が撮影したサラエボの壁の弾痕も只の模様としてはもはや見つめられなくなる。

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平野正樹写真集『DOWN THE ROAD OF LIFE / 人間のゆくえ』より

 「壁の破片」は商品となって世界中に散らばっていったが(ちなみに私もそれを購入して母親へのおみやげにした)、平野氏も資本主義対共産主義の対立とその崩壊が無ければあり得なかったイメージを世界中に追いかけて、キューバや、ロシア、東ベルリン、サラエボ、アルバニアなどを旅していく。そして、そこに映り込んだ映像には報道写真のように何かを断罪するような気配は毛頭無いが、一方で単なる美しさを求めて撮影された風景写真でもない。

 この8月に京都芸術センターで開催された飯名尚人氏演出によるパフォーマンス作品『熱風』という奇跡的な舞台作品はこの写真家による語りを軸として展開していく。
そこには確かにごつごつとした「世界の肌ざわり」を感じさせるナニモノカがあった。そこに登場してくる人物一人一人が、ジャンルは違えどそれぞれの持ち場で「世界と対峙」している「大人」であり「越境者」なのだ。世界中で起こっている矛盾や対立、それに白黒をつけてしまうのは簡単で楽になれるのだが、敢えて判断を留保したまま、その矛盾の引きおこすグレーゾーンに踏みとどまって表現活動を続けている。そんな「大人」の集まりだったのだ。

 上演パンフレットで演出の飯名氏も作品の背景について以下のように触れている。「目には見えない不条理で巨大な力がググッと押し込まれて来て、どうやったって太刀打ちできない。それを「運命」と呼ぶ人もいれば「宿命」という人もいる。僕はそれを「熱風」と名付けた。」

 平野正樹氏に執拗にインタビューを重ねて構成された一連の写真にちなんだノン・フィクションを他の俳優が演じる事で「平野正樹」というフィクションを生み出す、というトリックも効を奏しているように感じられた。パンフレットをよく見もせずに観劇していた私は舞台が終わる寸前まで「こんな雄弁な写真家もいるのだなあ。」などとしきりに関心してしまったのだから。もちろん劇団SCOT以降重厚な演劇人歴を歩んで来た笛田宇一郎氏の演技力の賜物でもあったろう。

_MG_7838.jpg撮影:金成基

その他の登場人物、日米ハーフだが沖縄の古来の「ことば」にこだわるShinbowさんによる弾き語り、劇中や挿入された映画の中で踊るええ感じに熟成されたオカマを演じる川口隆夫、ジンバブエとNYを往復しながらアフリカに対する固定概念を揺るがす表現活動を続けるノーラ・チッポムラ女史。皆が皆ええ味を出していて、濃厚なスープが堪能できるのだ。

「こんなプロジェクト、一年やそこらでできるものではないだろう。」と思って終演後、演出の飯名氏に尋ねてみたが、やはり年月をかけた人間関係がそれぞれの登場人物達との間にあって、それが熟成されて今回の舞台があったとのこと。その粘り腰にも脱帽。

 終演後、伐採されては日本に輸出されてコピー用紙として使われているというタスマニアの原生林の実物大の切り株の写真の上に立ってみた。外から見ていた以上に大きく感じて、そしてその写真を撮るのに費やされた平野さんの時間をも感じて私も「溶けて」しまいそうな気分になった。

(了)

坂本公成
振付・演出家。ダンスカンパニーmonochrome circus主宰。福岡県出身。京都大学で美学を学び、その後人類学を学ぶ。作品はフランス、ドイツ、ポルトガルなどヨーロッパ、そしてアジア十数カ国で上演されている。第19回京都国際ダンスワークショップフェスティバル プログラムディレクター。『混浴温泉世界』での「ダンサーを探せ!!」 (’09)、grafとの「直島劇場」(’10)や「TROPE」(’11)など。『身体との対話』コンタクトを軸に、都市、景観、建築などへの幅広いリサーチを続けている。’01年 京都市若手芸術家奨励制度奨励者、’ 02年ACCの助成を受けてNYに研修。平成19年度京都市芸術新人賞受賞。天理医療大学非常勤講師。